WOAHがホームページ上に掲載しているワンヘルスに関するブータンのケーススタディについてご紹介いたします。
※WOAH(国際獣疫事務局:World Organisation for Animal Health)は、世界各国と協力して動物の病気を防ぎ、動物と人の健康を守るとともに、人・動物・環境の健康を一体的に考えるワンヘルスの取組を積極的に推進している国際機関です。
掲載URL:https://www.woah.org/en/document/one-health-in-action-bhutans-one-health-journey-addressing-zoonoses-and-other-threats-through-integrated-action/
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タイトル:「ワンヘルスの実践:人獣共通感染症及びその他の脅威に対する統合的な取組――ブータンにおけるワンヘルスの歩み」
課題の概要とワンヘルスの背景
ブータンは南アジアに位置し、新興・再興人獣共通感染症の発生リスクが高い国として認識されている。2013年にワンヘルス・アプローチを導入し、2016年には「ブータン・ワンヘルス戦略計画」として正式に制度化した。この計画は、ガバナンス、サーベイランス(監視)、アウトブレイク対応、人材育成、そしてヒト・動物・環境の各分野にまたがる連携を強化するものである。
ブータンは、狂犬病、炭疽、鳥インフルエンザ、ブルセラ症、レプトスピラ症、ツツガムシ病、結核、エキノコックス症などの人獣共通感染症、及び越境性疾病による脅威に継続的にさらされている。近年では、アフリカ豚熱(ASF)やランピースキン病(LSD)など、海外から侵入した家畜の疾病も発生している。また、食品媒介性疾患が散発的に発生しているほか、小反芻獣疫(PPR)や口蹄疫(FMD)などの野生動物・家畜関連疾病もみられる。
さらにブータンでは、ヒトと動物の双方において薬剤耐性菌の脅威が増大している。その背景には、抗菌薬の使用増加と、使用の管理・監督体制が十分に整備されていないことがある。
その他に、ブータンの脆弱性を高めている要因としては、管理が難しい国境、国境を越えた家畜の移動、ヒトと動物の密接な接触、畜産の集約化、そして限られた動物衛生インフラなどが挙げられる。
ブータンは、統合されたガバナンス体制を整備するとともに、WHO(世界保健機関)、及びWOAH(国際獣疫事務局)に対して疾病情報を積極的に報告しており、地域における人獣共通感染症の監視拠点としての役割を担っている。一方で、野生動物の疾病サーベイランスや、検査機関間の連携については、さらなる強化が必要である。
このケーススタディは、ブータンがワンヘルス・ガバナンスを制度化し、合同サーベイランスや人材研修を拡充するとともに、パンデミック基金のワンヘルス・プロジェクトなどの取組を通じて検査・診断能力を強化してきた過程を示している。
解決策とリスク軽減のための戦略
2016年に「ブータン・ワンヘルス戦略計画」が承認されたことを受け、「ワンヘルスに関する省庁間委員会(IMCOH)」が設立され、ガバナンス体制が整備された。IMCOHは、複数分野間の連携を図るための最高位の政策・意思決定機関である。委員長は、保健省と農業・畜産省の事務次官が持ち回りで務めており、各分野のバランスの取れたリーダーシップを確保している。
IMCOHは、2つの技術組織、すなわち「国家ワンヘルス技術委員会」と「国家薬剤耐性技術委員会」によって支援されている。これらの委員会は、戦略的・技術的な指針を提供するとともに、政府機関、NGO、学術機関、研究機関などから構成され、包摂的かつ協働的なアプローチを確保している。
2020年11月に設置された「ブータン・ワンヘルス事務局」は、ヒト、動物、環境の各分野から派遣された職員で構成されている。同事務局はIMCOHの調整機関として機能し、ワンヘルス活動に関する分野横断的な計画策定、実施、モニタリングを促進している。また、2年に1度開催される全国ワンヘルス会議の調整を行っている。さらに、合同技術ワークショップ、研修、シミュレーション演習を実施するとともに、サーベイランス(監視)、疾病発生時の対応、共同研究活動の調整も行っている。
ブータン・ワンヘルス戦略計画では、ガバナンス、サーベイランス、アウトブレイク対応、能力強化、研究、コミュニケーション、環境・野生動物分野との連携を柱とする7つの戦略が示されている。
ブータンは、さまざまな分野でワンヘルス・アプローチを積極的かつ効果的に実践してきた。同国では、ワンヘルスに関連する国際・地域・国内レベルのイベントが数多く開催されている。
H5N1型鳥インフルエンザについては、複数回のアウトブレイクが迅速に検知され、感染拡大を最小限に抑えながら封じ込められている。また、ブータンでは、2023年に1例が報告されたことを除き、2016年以降、ヒトの狂犬病症例は報告されておらず、動物における狂犬病の発生も減少傾向にある。ブータンは、2030年までにイヌ媒介性狂犬病による死亡者をゼロにするという世界的目標に先立って、イヌ媒介性ヒト狂犬病の排除を宣言できる段階に近づいている。
ワンヘルス・アプローチは、ブータンによるCOVID-19パンデミックへの効果的な対応にも大きく貢献した。地域でアウトブレイクが発生した際には、動物衛生や食品安全の分野から技術専門家が動員され、公衆衛生上の対応を支援した。
また、薬剤耐性(AMR)への対応においても、ブータンは良好なワンヘルス連携を示している。高病原性鳥インフルエンザ(HPAI)、狂犬病、炭疽、ブルセラ症など、優先度の高い人獣共通感染症については、主要な関係分野が共同で国家対策計画を策定している。
人獣共通感染症を想定した合同シミュレーション演習も定期的に実施されている。2023年には、「合同リスク評価(JRA)」の指導者養成研修が開催され、今後も研修を定期的に実施する計画である。
関係者
ブータンにおけるワンヘルスの実施は、主要な政府機関と学術機関が連携して取り組む協働事業である。「ブータン・ワンヘルス事務局」が関係者間の調整を行い、「ワンヘルス省庁間委員会(IMCOH)」が上位レベルでの監督を担っている。
「公衆衛生局」は、臨床サービス、人材研修、研究など、ヒトの健康に関する戦略を主導している。
「畜産局」は、動物衛生の監督及び実施を担っている。一方、「ブータン食品医薬品庁」は、食品安全、食品媒介性疾病の管理、及び畜産部門と連携した動物衛生に関する共同事業に重点を置いている。
「森林・公園サービス局」は、野生動物の衛生管理及び関連するワンヘルス戦略を担っている。また、「環境・気候変動局」は、環境政策をワンヘルスの取組に統合する役割を果たしている。
「防災管理局」は、緊急事態への備えと対応を支援している。
さらに、看護・公衆衛生学部や天然資源学部などの学術機関は、研修、研究、カリキュラム開発を通じて、ワンヘルスの枠組みの下でヒト及び動物の健康分野における能力強化に貢献している。
〇保健省
・公衆衛生局
・王立疾病対策センター
・ブータン食品医薬品庁
〇農業・畜産省
・畜産局
〇エネルギー・天然資源省
・環境・気候変動局
・森林・公園サービス局
〇内務省
・防災管理局
〇学術機関
・ケサル・ギャルポ医科学大学 看護・公衆衛生学部
・ブータン王立大学 天然資源学部
〇国際機関・パートナー
・世界保健機関(WHO)
・国連食糧農業機関(FAO)
・国際獣疫事務局(WOAH)
影響と成果
実施開始から18か月間で、ブータンは以下のような具体的な成果を上げた。
〇55名の専門家が合同実地疫学研修プログラムを受講し、中級者向けの研修指導者養成チームが設立された。また、181名の獣医療補助専門職を対象に、再教育研修が実施された。
〇主要な取組として、重要な検査室カリキュラムの策定、国家診断委員会の設置、疾病アウトブレイク対応マニュアルの改訂が行われた。
〇ミュレーション演習の強化と合同リスク評価(JRA)を通じて、対象となる疾病への対応能力が強化された。また、入国地点における検疫・監視体制を強化することで、海外から侵入する疾病の早期検知能力が向上した。
〇優先度の高い10種類の人獣共通感染症を特定し、マッピングを実施した。これには、狂犬病及びレプトスピラ症のリスクマップの作成も含まれる。
これらの取組により、疾病の早期検知能力が向上し、緊急時に迅速に対応できる人員・体制が強化された。また、検査室における品質保証手順が標準化され、複数分野にまたがる連携体制が制度として定着した。その結果、ブータンは、人獣共通感染症による脅威をより早期かつ効率的に検知・封じ込める能力を高めるとともに、地域における疾病監視の拠点としての役割を果たす体制を整えつつある。
【Nダハル博士(動物衛生専門家/農業・畜産省 畜産局ワンヘルスプロジェクトリーダー)のコメント】
「合同研修、シミュレーション演習、そしてブータン・ワンヘルス事務局を通じて、ブータンは分野間の協力を実際の行動へと転換してきました。これにより、人獣共通感染症の脅威をより迅速に検知・対応できるようになるとともに、国内の検査・診断能力及び実地疫学の人材・技能を強化しています。」
実施上の課題
本事例での取組には、いくつかの課題がある。特に、重要なものとして、資金面での制約、人材育成に充てられる予算の不足、疾病報告に影響を及ぼす継続的なデータ共有の問題、そして職員の離職・異動率の高さによる知識・技能の継承への影響が挙げられる。さらに、野生動物の疾病サーベイランス能力が限られていることや、地方レベルにおける物流体制及び検査・診断能力の弱さも課題となっている。
ブータンは、これらの課題の一部に対して、病院での対象を絞った現地研修の実施、人員動員に関する標準作業手順書の策定、そしてIMCOHの枠組みを通じた連携の強化によって対応してきた。
しかし、これまでに達成した成果を維持し、さらに発展させていくためには、継続的な金銭支援・関与が不可欠である。
得られた教訓
ブータンは長年にわたり、ヒト・動物・環境の接点で発生する健康上の脅威に対して、ワンヘルス・アプローチを効果的に適用してきた。世界的・地域的なワンヘルスの取組が本格化する以前から、ブータン政府の各機関は、健康上の脅威を予防し、備え、対応するために、分野を越えて連携していた。
その代表的な例が、2000年代初頭にアジアで発生した高病原性鳥インフルエンザ(HPAI)のアウトブレイクである。ブータンは、主要な関係者が連携して事前の備えと協調的な対応を行った結果、地域内でHPAIの影響を受けた最後の国となった。
ブータンは国土・人口規模が小さく、行政機構も効率的であることから、新たな健康上の脅威が発生した際に、ワンヘルスに関係する各主体を迅速に動員することが可能である。その取組は、ブータン・ワンヘルス戦略計画をはじめとする国家政策に基づいている。
ブータンの経験から得られた主な教訓と優先事項は以下のとおりである。
1.拡大する前に制度化する
「ワンヘルス省庁間委員会」と「ワンヘルス事務局」による正式なガバナンス体制を整備することで、複数分野にまたがる活動を迅速かつ協調的に実施することが可能になる。
2.人材とカリキュラムに投資する
合同実地疫学研修プログラム(FETP)やワンヘルスに関する検査室カリキュラムへの投資は、分野横断的で持続可能な能力の構築につながる。
3. シミュレーションによって弱点を特定する
シミュレーション演習を実施することで、地方レベルでの備えや野生動物の疾病サーベイランスにおける不足・弱点が明らかになり、改善すべき優先分野を特定することができる。
4.地域社会との連携と法執行機関とのつながりが重要
統合型チェックポイントの最前線で勤務する警察官への研修や、村落保健員を対象とした再教育研修を実施することで、バイオセキュリティや事象に基づく疾病報告の改善につながった。
5.持続可能性には多様な資金源が必要
ワンヘルスによって得られた成果を長期的に維持するためには、継続的な外部支援に加えて、民間セクターの参画が必要である。
ワンヘルス共同行動計画(OH JPA)との関連性
このケーススタディは、「ワンヘルス共同計画(One Health Joint Plan of Action:OH JPA)」を国家レベルで効果的に実行・運用する方法を示す具体的な事例である。
ブータンは、人獣共通感染症、薬剤耐性(AMR)、環境上の危害を含む複雑な健康上の脅威に対応する中で、着実な成果を上げてきた。その経験は、国家レベルでのワンヘルス・アプローチを実践する上では、以下の3つの要素が重要であることを明らかにしている。
・政策、法制度、アドボカシー(政策提言・普及啓発)、資金調達(Pathway 1)
・組織体制の整備と各分野の統合(Pathway 2)
・データ、エビデンス(科学的根拠)、知識の戦略的な活用(Pathway 3)
また、この取組は、OH JPAの「6つのアクショントラック」すべてを体系的に推進している。ブータンの取組は、人、動物、環境の各分野を統合したワンヘルスの仕組みを制度として構築し、それを具体的な疾病対策・人材育成・サーベイランス・公衆衛生対応へとつなげている事例といえる。
・トラック1:能力の強化
人材育成、研修、検査・診断能力などの強化を進める。
・トラック2:人獣共通感染症の予防
新たに発生・侵入する疾病を早期に検知し、そのリスクを低減する。
・トラック3:地方特有の感染症の管理
狂犬病など、国内で継続的に発生する人獣共通感染症の管理・制御を強化する。
・トラック4:食品の安全性確保
食品安全対策を強化するとともに、健康危機・アウトブレイク発生時の公衆衛生対応能力を高める。
・トラック5:薬剤耐性(AMR)対策
ヒト・動物の双方における薬剤耐性菌の拡大を抑制する。
・トラック6:環境・野生動物分野の統合
環境及び野生動物の分野をワンヘルスのガバナンス体制に組み込む。
結論
ブータンの事例は、高レベルのガバナンス体制を制度化し、合同サーベイランスと研修を拡充するとともに、ヒト・動物・環境の各分野における検査・診断能力を強化することにより、国家レベルでのワンヘルスの取組がもたらす変革的価値を明らかにしている。
さらに、こうした取組は、生物多様性の保全を促進し、南アジアの複雑な生態系における健康安全保障を強化することにもつながっている。